カレントテラピー 32-6 サンプル

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Current Therapy 2014 Vol.32 No.6 9515内包を備えていたのに対し,depressionは比較的新しい概念である.日常用語でもあるdepressionを病名として初めて使用したのは,19世紀後半のLangeとされている4).彼は,いつも涙もろく,意気消沈していて,仕事や決断ができずに,元気がない,生きる喜びがないと訴える外来患者たちの状態をdepressionと呼び,これを症状的に重いmelancholiaと区別した.1899年,Kraepelin5)は,躁うつ精神障害(dasmanisch-depressive Irresein:MDI)という概念を確立し,ここで初めてmelancholiaに替わってdepressionがmania(躁病)と対になった.KraepelinのMDIには,気質レベルから軽症,重症,精神病性の感情障害までが含まれたが,心因性のdepressionは除外された.なぜなら,これは明らかな心理的原因から生じて,症状が状況次第で変化しやすく,経過も自律的ではないからである.一方Kraepelin以降,melancholiaはdepressionの1型として位置づけられたため,その同義語としてendogene(内因性)Depressionも使用されるようになった.こちらは身体レベルの抑うつで,バイオリズムの変動を伴い,状況の変化に反応せずに一定期間持続する病態である.その後,心因性のdepressionは,反応性ないし神経症性とも形容されるようになるが,反応性はSchneider6)が1920年に導入したもので,神経症性は精神分析の影響を受けた用語である.その後,ドイツ語圏では内因性のdepressionがその他のdepressionと質的に異なることは自明となり,それは1980年以降に登場した米国精神医学会の操作的診断基準が普及する以前の日本でも同様であった.2 depressionとうつ病一昔前であれば,日本語の「うつ病」は主に内因性のdepressionを指し,心因性の場合は比較的重い状態像に限定されて用いられるのが常だった.1977年に提案された広瀬7)の逃避型抑うつは,今日であればうつ病と呼ばれても不思議でないが,当時は症状が軽い場合は内因性であってもうつ病と命名するには躊躇があったことが窺われる.体系的な診断基準であるDSM-Ⅲの登場以降,major depressionが大うつ病と翻訳され,他のdepressionのつく障害名もすべてうつ病と呼ばれることになった.かつて,症状の重篤度に合わせて,うつ病,抑うつと便宜的に使い分けられていた状態像がすべてうつ病と呼ばれ,非定型うつ病(atypical depression)や小うつ病(minor depression),閾値下うつ病(subthresholddepression)など,修飾語で区別されるようになったのである.いきおい,「うつ病」の範囲は著しく拡大することになった.他方で,操作的診断は定義が明白で,患者自身が病名に納得しやすいという側面もある.加えて,「うつ病」が心の風邪として喧伝され,都市部を中心にcommon disease化すると,この診断への抵抗も少なくなった.その結果,社会適応の悪さに由来する心理的レベルの抑うつでも,明確な「疾患」として診断してほしいという無意識的ないし意識的な願望を抱いた人々がメンタルクリニックに殺到するようになった.こうした事情も昨今の「うつ病」の増加に寄与していることは間違いない.英米圏に目を転じると,そのうつ病観は日本やドイツと若干異なり,内因性と心因性との区別が当然視されていたわけではない.英国では長期間にわたって単一論と二分論の論争があり,米国でも単一論的な考え方は一貫して底流にある.すなわち,健康な状態と精神疾患との境界はあいまいで流動的であり,神経症から精神病までも程度において連続している,という心理社会的モデルである.こうした単一論的な構想に基づけば,広いdepression概念は何の問題も引き起こさない.Ⅲ 現代型うつ病について1 概念昨今,「現代型うつ病」がメディアで良く取り上げられるが,この現象にはうつ病概念のあいまいさも一役買っている.日本うつ病学会のガイドラインによると,これは「若年者の軽症抑うつ状態の一側面を切り取った」もので,「マスコミ用語であり,精神医学的に深く考察されたものではなく,治療のエビデンスもない」とされている.したがって,この言葉に医学的に明確な定義があるわけではないが,例えば