カレントテラピー 32-2 サンプル

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44 Current Therapy 2014 Vol.32 No.2144Ⅱ 家庭医懇設立前後における米国そして日本の現状1 米国における家庭医学会誕生の経緯─医学教育の改革および医療の質の改善向上と連動して家庭医が誕生─日野原重明氏は,オスラーが,『アブラハム・フレクスナー報告書』2)を基に,ジョンズ・ホプキンズ大学の総長に医科大学の整備の建議案を出している.この報告書は,北米の病院の現状を忌憚なく分析し,レベルの低い,未整備の医学校は閉鎖すべきであることを強く勧告し,そのため当時の米国では,医学校の半数が閉鎖される始末になったと述べている3).第二次世界大戦後に専門医優位の時代が訪れ,一般医と専門医との給与格差や都市への専門医集中という現象が起こることになり,さらに日常的な保健医療健康問題の解決がおろそかになり国民の医療に対する不満が高まってくることになる.1931年には全医師の80%以上が一般医であったのに対し,1970年には一般医が20%近くにまで減少するに至り,ますます地方でのプライマリ・ケアレベルの医療サービスは低下していくことになる.1966年8月にはミリス(Millis JS)報告4)が提出され,次いで同年9月にはウイラード報告書が提出されている.前者は市民委員会から米国医師会へ,後者は米国医師会自身の手になるものであった.いずれも従来の一般医でない新たな家庭医の誕生を要望した報告書であり,家庭医の機能や医学教育のあり方が盛られていた.このような医学教育改革運動によって,1947年に設立された米国一般医学会(The AmericanAcademy of General Practice:AAGP)は,1971年には米国家庭医学会(The American Academy ofFamily Practice:AAFP)へと衣替えする.さらには,1969年米国で20番目の専門科としての家庭医学専門医試験委員会が設置され,家庭医学専門医が誕生するに至った5).一般医でなく家庭医になった経緯には,1960年代一般医は重篤な病気とそうでない病気との鑑別ができず,自分の受けたトレーニングの限界を守らないで診療しているとの非難があったという.だがそれ以上に家庭医学への専門独立には,長い時間をかけての真剣な議論と準備,初期指導者の並々ならぬ努力があり,決して場当たり的,繋ぎ的な産物ではないといわれている6).その一方で,米国では医療評価を行って病院の質の改善・向上を図ってきたということである.その観点からは1914年に設立された米国外科医学会が中心となり,病院の標準化運動が始まり,また,Codman EA(米:外科医,1914)の「End ResultSystem」の提唱と相まって,外科医を養成する施設要件としてのminimum standards(1910)が設定されている.これが米国における病院認定の基準(standards)による病院評価の始まりである.1951年には病院の質を第三者で評価するJoint Commission onAccreditation of Healthcare Organizations(JCAHO)の前身のJoint Commission on Accreditation ofHospitals(JCAH)が設立され,米国における病院の評価認定が始まっている.わが国の必要とする家庭医の姿が,米国のそれと同じものである必要はないが,少なくとも,その教育制度改革,認定制度創設において先んずるものがあり,その厳しい基準など参考になることが多い7),8).2 日本における家庭医懇設立前後の現状─卒後臨床研修制度の中でのプライマリ・ケア研修の高まり─わが国において少なくとも卒後の臨床研修制度はプライマリ・ケア志向で進められ,今日までそのような考えで行われている.戦後昭和21年から始められたインターン制度は昭和43(1968)年の医療法の改正で廃止され,臨床研修制度が導入された.当時の医師研修審議会(会長塚本憲甫)において,「現在,国民の医療全体としては,高度の専門的技能とともに健康管理,初期診療等いわゆるPrimary careに対するニードがきわめて高い.したがって研修カリキュラムも対応して計画される必要がある.これに関しては,現状においては,むしろ,各診療科における研修カリキュラムのなかに,いわゆるPrimary careについての研修計画を組み込むべきであろう.」とした建議書が出されている.昭和50(1975)年10月には同審議会(会長 日野原重明)から今後とるべき卒後臨床研修の