カレントテラピー 32-2 サンプル

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Current Therapy 2014 Vol.32 No.2 9109とない.患者からすれば,最初に相談したドクターがどれだけのドクターと知り合いなのか,そのなかに自分の診療ができるドクターがいるのか,全くわからない.さらにいえば,もっと適切に診療をしてくれるドクターがほかにいるかもしれないのだ.このような「当たり外れ」のある紹介システムを改善するために,せめて3次医療圏ごとに専門医のデータを集め,初めに患者を診察した医師が適切な医師を紹介することができるような公的なシステムをつくってほしい.「あなたの病気については,この地域内ではこのドクターが専門ですよ」といった紹介をしてもらえれば,「どこかほかにもっといい医師がいるのでは?」と右往左往しなくても済むし,無駄な医療費を使わなくて済む.Ⅱ バランスの取れた医療が提供されること「総合的」「全人的」という言葉を自分なりの言葉に置き換えたときにイメージしたのが,「バランス」である.このバランスの取れた医療は,なにも総合診療専門医だけに求められるものではない.すべての医療者にかかわるテーマだと考えている.巷で指摘されているとおり,日本の医療は寿命を延ばすことにおいて世界のトップクラスであるが,患者の生活の質が置き去りにされている,いわばアンバランスな医療が今問題となっている.私たちは患者として医療にかかるときがあるが,人生のほとんどの時間を生活者として過ごす.学び,働き,家族や地域社会での役割を担い,日々の生活を切り盛りする.ところが,ひとたび患者になると,医療は「病気を治すための生活」を私たちに求めてくる.最近は予防医療も盛んになったので,「病気にならないための生活」も求められるようになった.病気がない状態を最善とする価値観では,「すべては病気予防・治療のために整えるべし」,という考えになるのだが,患者・国民全員がそのような生活を望んでいるのか,立ち止まるべきときに来ていると思う.医療の現場に患者個人の価値観を持ち込むことは,医療を提供する側からすれば非常に煩雑なことでもあると思う.しかし,病や不具合を抱えながらもどのような毎日を送りたいのかを考え,そのために必要な手立てを講じるといったバランスの取れた医療が,「総合的」「全人的」な医療ではないだろうか.このようなバランスの取れた医療を日本に根づかせるためには,医療者の資質のみが向上すればよいというものではない.とかく「先生にお任せします」と自分の健康や命を丸投げしがちだった患者側も変わらなくてはならないのだ.今の医療にできること,できないことを受け入れつつ,自分がどのような生活・人生を送りたいのか,それはほかでもない,私たち医療を受ける側が考え,答えを出さなくてはならない.しかし,そのために必要な情報・知識が不足している私たちである.そこには専門家としての医療者・各種相談員などプロの助けが必要となってくる.卑近な例で恐縮だが,私は機会があれば「いろいろな死因がありますが,どのような死に方がいいのでしょう」と,医療者に聞くことにしている.なんと,「がんがいい」という回答が多いのだ.私たち一般市民は「がんだけにはなりたくない」と予防を心がけ,検診を受けているのに.理由を伺うと尤もなことも多く,病気を抱えながら生きることについて,いかに自分がイメージを描けていないかを痛感した.最近はリビングウィルを残したり,エンディングノートを書いたりする人が増えているが,書くときに,はたして十分な検討をしているのだろうか.例えば「回復の見込みがない場合」は,人工呼吸器をつけないでほしい,という意思表示をするかどうかを考えるとき,回復の見込みがあるかどうかはやってみなくてはわからない場合がある,という現実を書く人は知っているのか.このように,寿命だけを長くすればよいという医療から,豊かな人生を生き切るための医療への転換をするには,医療者と患者・国民の共同作業が必要だと感じた.特に総合診療専門医は,他の専門医に比べると患者の全身にかかわり,かかりつけ医ともなればライフコースにかかわるドクターとなる.バランスの取れた医療とは何かを私たちにわかりやすく伝えてほしいと願う.バランスの取れた医療というのは,実は医療だけ